ジャクソン・ポロックはアクション・ペインティングと呼ばれる革新的な技法を発明し、抽象表現主義の先駆者として知られる20世紀アメリカ美術を代表するアーティストの一人です。彼を中心とした同時代の抽象表現主義のアーティスト達の活躍により1950年代頃からアートの中心地はパリではなくニューヨークだと考えられるようになりました。
ポロックはアメリカ、ワイオミング州コーディに生まれました。1928年よりロサンゼルスのマニュアル・アーツ・ハイスクールで絵画を学び、1930年からはアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークでトマス・ハート・ベントンの下で学びました。1943年には世界屈指のアートコレクター、ペギー・グッゲンハイムのThe Art of this Centuryギャラリーにて初個展を開催しました。1948年にはヴェネチア・ビエンナーレに出展、翌年にはフィレンツェとミラノに巡回しヨーロッパに紹介され、1951年にはニューヨーク近代美術館での『アメリカの抽象絵画・彫刻展』に選出されポロックは国際的な人気を博しました。
1952年に描かれた『Blue Poles:Number 11』はメディアから大きな注目を集め、論争が巻き起こるなか 1973年オーストラリア国立美術館により130万豪ドルで買い上げられ話題となりました。当時のギャラリーディレクター:ジェームス・モリソンは100万ドル以上での購入を認可することが出来なかったため、この買収は当時のオーストラリア首相ゴフ・ウィットラムにより承認されました。1950年代の抽象表現主義の主要な作品としての価値とオーストラリアの政治と歴史における重要性から 今日でもギャラリーの主要な所蔵品の一つとなっています。
成功し高い評価を受ける反面、マスコミからの痛烈なバッシングを受け、アーティストとしての大きなプレッシャーを抱えたポロックは 10代の頃患っていたアルコール依存に再び溺れるようになりました。そして1956年飲酒運転による自動車事故により44歳の若さで亡くなりました。
代表作の一つ『Number 17A』(1948年)は2015年デヴィッド・ゲフィン財団からケネス・グリフィンに2億ドル(約220憶円)で売却されるなどし、ポロック作品は『List of most expensive paintings(世界で最も高額な絵画リスト)』に名を連ねています。また、ポロックの生涯は『Pollock(邦題:ポロック 2人だけのアトリエ)』(2000年)として映画化もされています。
▼ポロック・クラズナー財団のサイトはこちらから
https://pkf.org/
▼ポロック=クラズナー・ハウス・アンド・スタディーセンターのサイトはこちらから
https://www.stonybrook.edu/pkhouse/