ジュール・パスキン
Jules Pascin
1885年−1930年
ジュール・パスキンは1885年、ブルガリアのヴィデンで裕福な穀物商の両親の元に生まれます。ウィーンやミュンヘンなどでデッサンを学び、19歳の時にベルリンの風刺雑誌に投稿した挿絵がきっかけとなって、ミュンヘンの風刺雑誌と挿絵作家として専属契約を結び、早くも素描家として高い評価を得ます。翌年、印象主義やフォーヴィスムなどの流れが渦巻くパリに移りますが、その流れに乗ることなく独自のスタイルで画家としての活動を始めます。
第一次世界大戦勃発をきっかけに世界各国で放浪の生活を送った後、1920年にパリに戻り、モンパルナスに居を定め成熟期を迎えます。その数年後に「真珠母色」と呼ばれるオーロラのニュアンスを含んだ白を生かした少女像を発表。これがのちにバスキンの絵のイメージを決定づけるものとなります。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロティックな憂愁を帯びています。退廃的なその作品には、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されています。