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ARTIST/ART

クロード・モネ
Claude Monet
1840年-1926年

クロード・モネは印象派を代表するフランスの画家です。その比類なきスタイルは フランス・ジヴェルニーの花咲く庭園を鮮やかに描写したことで最もよく知られています。独特の筆遣いと色彩で ムードを伝えるべく、季節の移ろいと共に刻々と変化する自然の光を探求し続けました。彼の最も有名な作品には『睡蓮(1919年)』、『印象・日の出(1872)』、『ルーアン大聖堂』(1892-1894年の連作)などがあります。『印象・日の出(1872)』というこのタイトルは「印象派」という名前の由来となりました。

  「絵を描きに行く時は、木や家や畑など あなたの目の前にあるものは忘れてください」

  「ここには青い小さな四角があり ここにはピンクの長方形があり、ここには黄色の線、   唯々あなたの見えるままに描きます」

モネは1840年フランスのパリで生まれ、10代の頃に海沿いの街ル・アーヴルで画家のウジェーヌ・ブーダンから油絵や戸外制作を学びました。1859年に画家シャルル・グレールのアトリエの生徒になりピエール=オーギュスト・ルノワールやアルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらと出会いました。 1874年の最初の印象派展で、モネらの絵を見た批評家ルイ・ルロワがパリの風刺新聞ル・シャリヴァリに「“印象派”の展覧会」だという評論を発表したことをきっかけに「印象派」という新語が生まれたと言われています。第二回印象派展では 日本の着物を着た妻カミーユをモデルにした『ラ・ジャポネーズ』を出展しました。この他にも扇子を持ったり、室内の壁にうちわが飾られた作品など、モネは日本の浮世絵から影響を受けた構図を取り入れ 典型的な日本趣味の作品も描いています。
1877年パトロンであったエルネスト・オシュデが破産し妻と子を置いてベルギーに夜逃げしてしまいます。その後妻のカミーユが結核で亡くなり、失意の底にあったモネと6人の子供たちを オシュデの妻アリスが献身的に世話をし、二人は協力して子供を育てました。カミーユが亡くなり13年を経た1892年に二人は結婚しました。以後、モネはアリスが亡くなるまで添い遂げました。1883年モネはジヴェルニーに移り住みフランスの海辺などを巡る制作旅行に出かけます。
1880年代の終わり頃から一つのテーマを さまざまな天候や、季節、光のもとで描く「連作」がモネの作品の中心となりました。晩年にはオランジュリー美術館を飾る「大装飾画」を完成させました。そしてモネは 数多くの名作を生み出したジヴェルニーにて 1926年86歳で亡くなりました。

2019年『積みわら(1890)』がサザビーズ・ニューヨークで1億1070万ドル(約122億円)で落札され、モネのオークションにおける過去最高額を更新し、初めて1億ドルを超えて落札された印象派の作品となりました。
モネの作品は現在、ロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館、パリのオルセー美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリー、ニューヨーク近代美術館、アムステルダム国立美術館などのコレクションに収蔵されています。

▼クロード・モネ財団 公式サイトはこちらから
http://fondation-monet.com/

▼Claude Monet – The Complete Works のサイトはこちらから
https://www.claudemonetgallery.org/

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