(本名)チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (Charles Lutwidge Dodgson)は『不思議の国のアリス』の著者でありペンネームのルイス・キャロルとして最もよく知られるイギリスの作家で写真家です。彼はまた オックスフォード大学の数学講師を務めるほどの数学者であり論理学者、詩人でもありました。
ドジソンは1832年にイギリスのチェシャー州デアズベリーで生まれ、イングランド北部で幼少期を過ごしました。1850年にオックスフォード大学のクライスト・チャーチへ入学、1854年に最優秀の成績で卒業した後 同校の数学講師となり その後26年間講師を勤めました。1856年にカメラを購入したドジソンは写真撮影を趣味とするようになりました。彼はアマチュアながらも写真湿板という撮影法において優れた腕前を持っていました。1880年に突如として写真を辞めてしまうまでに約3000枚もの写真を現像しており、そのうち破損を逃れた1000枚足らずが現存しています。その半分以上が「小さなお友達」と呼ばれる少女たちを撮影したもので、少女たちの中にはアリス・シリーズのモデルとなったアリス・リデルも含まれています。彼は個人の写真館を持ち、ジョン・エヴァレット・ミレー、エレン・テリー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなどイギリス上流階級の著名人らの肖像写真も撮影しました。またこの頃には詩や物語の執筆も多く手掛けており、様々な雑誌に寄稿し、ルイス・キャロルの筆名での最初の作品も発表しました。1861年に彼はイングランド国教会の執事に叙階されました。
1862年ドジソンは親しく交際していたリデル家の三姉妹と友人のロビンソン・ダックワースと共に川へピクニックに向かう途中、即興で物語を語りました。これがアリスの物語の原点となったのです。この時ドジソンが語った面白い物語を書いてほしいとアリス・リデルからせがまれ、ドジソンはこの話をもとに『地下の国のアリス』を執筆し始めます。
そして1863年に本文が完成、1864年には挿絵を添え『親愛なる子へのクリスマスプレゼントとして、夏の日の思い出に贈る』との献辞と共に『地下の国のアリス』と題された本が アリスに贈られました。これが『不思議の国のアリス』のオリジナル版でした。その後 挿絵はイラストレーターのジョン・テニエルに依頼し1865年ついに『不思議の国のアリス』は出版され、驚異的な成功を収めました。その後1871年には『鏡の国のアリス』を発表、1876年には『スナーク狩り』を発表しました。
その後 彼はオックスフォードで過ごし、1898年にギルフォードで亡くなりました。
様々な詩や論文、本や写真を手掛けたドジソンですが 熟練した数学者でもあった彼は 今日では非常に興味深いゲームやパズルも数多く発明しており 幅広い分野で多くのファンを持っています。
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