デイヴィッド・スミスは 鉄を溶接して大きな幾何学的作品を制作した初期の抽象表現主義の彫刻家です。彼は抽象表現主義の技法を用いた絵画やドローイングも制作しました。
『芸術とは それをしばる掟のないパラドックスである』
『芸術が存在するとき、それは伝統となり
創造されるとき、それは以前には存在しなかった統一性を表している』
スミスは1906年アメリカ、インディアナ州ディケーターに生まれ、オハイオ州で育ち、1924年に高校を卒業しオハイオ大学で一年間学びました。夏休みの間にスチュードベーカー自動車工場でリベット工として働き、旋盤作業や 後に自身の作品で使うことになる溶接の技術を学びました。そして短期間ノートルダム大学に通った後、スチュードベーカーの金融機関に就職しました。1926年にはワシントンD.C.のモリス・プラン銀行に転勤し、ジョージ・ワシントン大学で詩を学びましたが、芸術に専念するためすぐに退学し、1927年にニューヨークに移りました。
スミスはアート・ステューデンツ・リーグに参加しキュビズムの画家ヤン・マトゥルカに師事しました。そこで彼はパブロ・ピカソやピエト・モンドリアン、ワシリー・カンディンスキーなどヨーロッパの芸術家の作品に触れました。この頃から彼はジャズとモダンダンスにも強い関心を持つようになりました。
1928年に当時の妻である画家のドロシー・デナーと共にブルックリンに移住。1929年に二人はニューヨーク州北部のボルトン・ランディングを訪れ、86エーカーの土地に古い家と納屋を購入しました。その後11年間毎年の夏と秋をそこで過ごし1940年には恒久的にその場所に居を移しました。1928年、パブロ・ピカソの彫刻プロジェクトに触発されたスミスは 抽象的なシュールレアリスムのスタイルで作られた絵画やコラージュ、レリーフを試し始め、立体的な形と絵画の組合せにますます興味を持つようになります。そして1930年ころからスミスは 絵画に様々な物体を取り入れるようになり、その後彫刻に転じました。
1933年には鉄の溶接を用いた彫刻制作を始め、1960年代には独自の抽象表現に到達し、構成主義の影響から シンプルでパワフルな空間構成による抽象彫刻を発展させてゆきました。
現在彼の作品は、ニューヨーク近代美術館、ワシントンD.C.のハーシュホーン美術館と彫刻庭園、ヴェネツィアのペーギー・グッゲンハイム・コレクションなどに収蔵されています。
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https://davidsmithestate.org/