スタスニラス・レピーヌは 印象派の先駆けの一人であり、パリの風景画や 橋や艀のあるセーヌ川の景色、モンマルトルの古い町並みを描いたことで知られるフランスの画家です。彼はノルマンディーの海岸で過ごした幼少期の影響から、カーンやルーアンの港の風景を中心とした海洋画を数多く制作し、港やパリの運河を描いた月光画を得意としていました。
レピーヌは1835年フランスのノルマンディー地方にあるカーンに生まれました。幼少期や芸術的形成についての情報は殆ど見当たりませんが、父親が家具職人であったことが知られています。18歳の時に絵に専念することを決意し、絵の具や筆を買うためのお金を貯め、描いた絵のうちの一枚を母親が美術教師に見せたところ「画家としての将来がある」と言われ、その才能を認められました。
1855年にパリに移り、1859年のサロンに『Port of Caen, Moonlight Effect(カーン港、月の光)』を出品してデビューを果たしました。レピーヌはヨハン・ヨンキントを敬愛し、特に空気や大気の効果を見事にとらえた海洋画や、月光の風景に影響を受けています。
1860年からはジャン・バティスト=カミーユ・コローの下で、より専門的な修行を積み、この頃にはアンリ・ファンタン=ラトゥールとも出会い親交を結びました。レピーヌはコローのアトリエで、コローの作品に見られるような伝統的な牧歌精神と 印象派に見られる趣のある風景の中間的な作風を身につけました。
レピーヌは同時代の画家たちのような人気を得ることはありませんでしたが、1874年の第1回印象派展に招待され『Banks of the Seine(セーヌ河畔)』を出品し、生涯を通じてサロンに参加しました。また彼はモダニズムの画家エドゥアール・マネとも交流があり、1878年にマネはレピーヌの妻の肖像画を描いています。
レピーヌは1892年に、57歳の若さで亡くなりました。