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アンリ・ルバスクはフランスのシャンピニェで生まれの後期印象派の画家です。1886年にパリに移り、エコール・デ・ボザールで絵画を学びました。そこで彼はナビ派やアンティミスムといった芸術集団と共に展示をし始めます。そしてパリで評判のサロンに通い、友人のアンリ・マティスらと共に“サロン・ドートンヌ(Salon d’automne)”を創設しました。このサロンで“フォービズム(野獣派)”のデビュー展が開催されました。
初期のルバスクは、マクシミリアン・リュスやジョルジュ・スーラなど幅広く様々な画家たちに影響を受けていました。点描を用いたり、シェーディング(陰影画法)により補色の使用を強調した色理論の重要性を学びました。1900年の初め頃からは フォービズム(野獣派)の浸透により、その画風や明るい色から深いインスピレーションを受け、ルバスクは徐々にその手法を取り入れるようになってゆきました。
その後1924年に、ルバスクはリヴィエラ(コート・ダジュール)に移り 視覚芸術の継続的な教育を追求しました。このことは彼に テーマの移行とカラーパレットの根本的な変化を促しました。そして自分の家族や、サン=トロペの溢れるような緑が彼の作品に多く登場し始めます。彼は再び、光と喜びのシーンを描くようになったのです。彼の作品は、幅広く明るい色彩と その内容の親密さで人気を博しています。そこには、生き生きとした生命力と 楽観が滲み出ています。こうしてルバスク『喜びと光の画家』として、芸術界での評判を築き上げてゆきました。
彼は1937年8月7日、フランスのル・カネで亡くなりました。
ルバスクの作品は、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、パリのオルセー美術館、ニューヨーク近代美術館などに収蔵されています。