ウィリアム・バツィオーツは 柔らかに発光するようなバイオモルフィックなイメージの抽象作品で知られるアメリカの画家です。彼は抽象表現主義者と考えられていますが、彼の作品は抽象表現主義の支配的な側面からは外れています。
「絵を描く時に好きなのは、神秘的なところです。」
「それは 静けさと静寂です。
私は自分の絵が 非常にゆっくりと効果を発揮するようにしたいし、
心を奪われたり、悩まされたりするものであって欲しいのです。」
バツィオーツは1912年にペンシルバニア州ピッツバーグに生まれました。1931年から1933年までケース・グラス社で働き、ガラスのアンティーク加工などの仕事をしていました。そしてその頃通っていた夜間のスケッチ教室で詩人のバイロン・ヴァザカスと出会い、生涯の友となったのです。ヴァザカスはバツィオーツにシャルル・ボードレールや象徴主義の詩人たちの作品を紹介しました。1931年にニューヨーク近代美術館で開催されたアンリ・マティス展を観たバツィオーツは絵画に興味を抱き、1933年にニューヨークに移り住み、国立デザインアカデミーに通いました。1936年にニューヨーク市立美術館のグループ展に初出品した後、WPA(Works Progress Administration)のフェデラル・アート・プロジェクトに採用され、クイーンズ美術館で美術教師を務め、またWPAのイーゼル部門で働きました。
1930年代後半からバツィオーツは ニューヨークにやってきたシュールレアリスト達と出会い、1940年にはジミー・エルンストやロベルト・マッタ、ゴードン・オンスロー・フォードらと知り合いになり、この頃からシュールレアリスムのオートマティスムの実験を始めました。1941年にはロベルト・マッタにロバート・マザウェルを紹介され親交を深め、1943年にニューヨークのペギー・グッゲンハイムのギャラリー・ミュージアム「アート・オブ・ザ・センチュリー」の2つのグループ展に参加し、翌年には初の個展を開催しました。1948年バツィオーツは、デイビット・ヘアやロバート・マザウェル、マーク・ロスコらと共にニューヨークで芸術家養成学校「サブジェクト・オブ・ジ・アーティスト」を設立しました。その後バツィオーツはブルックリン美術館とニューヨーク大学、ピープルズ・アート・センター、ニューヨーク近代美術館、ハンター大学などで教鞭を執りました。
1963年バツィオーツはニューヨークで亡くなりました。1965年にはグッゲンハイム美術館で、彼の追悼展が開催されました。