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ARTIST/ART

ウィージー
Weegee
1899年-1968年

ウィージー(本名:アッシャー・フェリグ)は1930~1940年代のニューヨークでの犯罪や殺人、スキャンダルなどセンセーショナルな出来事をいち早く捉えた白黒写真で知られる写真家でありフォトジャーナリストです。

ウィージーはウクライナ(当時のオーストリア・レンベルク)で生まれ、家族は1910年にニューヨークに移住しました。ウィージーは若い頃からストリートフォトグラファーや商業写真家のアシスタントとして働き、15歳でACME Newspictures(後のUnited Press International)で暗室技術者として雇われました。その後ACMEを去り、フリーランスの写真家として活躍し始めました。彼はマンハッタンの警察本部に出向き、2年間 警察カードやあらゆる種類の資格情報なしで働いていました。警察無線の使用を許可されていたウィージーは 車に搭載した無線により事件現場に直行し、車内には暗室を装備していたといいます。このようにして誰よりも早く事件現場に駆けつけ、写真を現像し彼はその写真をタブロイド紙や写真代理店に売りました。そして彼の写真はまもなくインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(現:インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ)、デイリー・ニュース、ポスト、サン、PMウィークリーなどから出版されました。

    「私にとって写真は人生の一ページです   だからこそ それは真実でなければなりません」

暗室技術者からフォトジャーナリストに昇進したウィージーは やがて画家であり写真家で美術館/ギャラリーの伝説的キュレーター:エドワード・スタイケンの目にも留まりました。1945年には最初の作品集である『裸の街(原題:Naked City)』を出版しました。彼の作品はダイアン・アーバスを含む多くのアーティストに影響を与えました。写真集の出版のほかウィージーは映画にも携わり 短編映画を制作し、のちにジャック・ドノヒューやスタンリー・キューブリックなどの映画監督とコラボレーションしました。有力なメディア、そして芸術写真。その両方の分野において成功を収めたウィージーは1968年に亡くなるまで 写真術について講義し、執筆もしていました。

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