エドナ・アンドラーデは1917年、アメリカ・バージニア州に生まれた抽象芸術家で、初期のオプアーティストとして知られています。ペンシルバニア美術アカデミーで美術を学び、卒業後は数十年にわたって美術教師として教壇に立っていましたが、その間はアーティストとしての制作活動もストップしていました。第二次世界大戦の勃発と結婚の時期とが重なり、途中夫の建築事務所で製図のアシスタントをしたりもしていましたが、満たされぬ日々にエネルギーを消耗させていると感じ離婚。
離婚後、フィラデルフィア芸術大学の教師として学生たちに形、色、幾何学の基本的な要素などを教えているうちに、自身がアカデミーで受けた保守的な美術教育の束縛から突然解放されたように感じる瞬間が訪れます。当時は写実主義と具象主義の伝統が自己期待に重くのしかかり、ある種の閉塞感をもたらしていました。しかし学生たちへ教育していく中で突然、自身が色や形を抽象的に、そして自由に使っていることに気づいたのです。
それを機に抽象画家へと転向したのは、40歳を過ぎてからでした。当時は性差別もあり、女性は妻として、また労働者としての義務を果たすために、一度に長時間キャンバスに向かうことはほぼ不可能でした。しかしながらパターンを描き、それを少しずつ埋めていくという方法であれば必要な時に中断し、可能な時には戻るというグリッドに基づいた作業ができると考えました。そして編み物やニードルポイントなど、多くの社会で女性の仕事の典型とされてきた技術が、抽象画の制作になら生かせると気づいたのです。
限られた時間の中で気分に左右されずに描くという意味で、自身の作品は、自発的な感情表現というよりは、プログラムに近いものだと語っており、また個性を表現しないという意味で目に見える筆跡をなくすなど、非人間的な作品作りに努めました。今でこそアンドラーでは影響力のあるオプ・アーティストと考えられていますが、当時はフィラデルフィアに住んでいたためニューヨークのアートシーンからは取り残されており、その人気はキャリアの後期から死後に高まりました。