オスカー・ジェスパーズは20世紀のベルギーで最も重要な彫刻家のひとりです。父親は同じく彫刻家のエミール・ジェスパーズです。
ジェスパーズはアントワープのボルゲルハウトに生まれ、アントワープの王立芸術アカデミーで学びました。1920年代には主にキュビズムの作品を制作していましたが、その後1930年代には表現主義のスタイルへと変化し進化してゆきました。
ジェスパーズは1921年にアントワープのKunst van Hedenで11点の彫刻作品を展示し、1925年にはGalerie Le Centaureで21点の作品を展示しました。この展覧会で彼はギュスターフ・デ・シュメトやコンスタン・ペルメーク、フリッツ・ファン・デン・ベルヘらと親交を深めました。彼はほぼ毎年のように頻繁に展示を行いました。また彼はフランドル地方の詩人ポール・ヴァン・オスタイェンの前衛グループ「De Bond zonder verzegeld papier」の一員でもありました。ジェスパーズは政府からの依頼によりテルビューレンのコロニアル・ミュージアムのための彫像をはじめ、アントワープのシューンセルホフ墓地にある詩人の葬儀用モニュメントなども手掛けています。
コンスタンティン・ブランクーシに影響を受けたジェスパーズは、代表作の一つである『Perle Fine』で過激な形式主義と高度な洗練性を融合させました。この作品はベルギーにおけるモダニズム彫刻の最初の傑作の一つと言われています。この彫刻のタイトルは、弁護士でアートコレクターのルネ・ヴィクターが彼のアトリエを訪れた際に、この作品を見て「これは本当に素晴らしい真珠だ!」と叫んだことに由来しているといいます。ジェスパーズはラ・カンブル国立美術学校で教鞭を執り、教え子にはウィリー・アンスーンやラインフード・ド・ハーゼ、テレーズ・ヴァン・デル・パントなどがいました。
現在彼の作品はベルギー王立美術館やアントワープ王立美術館などに所蔵されています。ブリュッセルのヴォリュウェ=サン=ランベール市にはオスカー・ジェスパーズに捧げられた道『オスカー・ジェスパーズ通り』があります。
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