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ARTIST/ART

オーギュスト・ロダン
Auguste Rodin
1840年―1917年

オーギュスト・ロダンは近代彫刻の父と呼ばれ 『考える人』や『接吻』など、ブロンズや大理石を用いた表現力豊かで力強い作品で知られるフランスの芸術家です。

1840年フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンはフランスのパリに生まれ、幼い頃から装飾美術や彫刻を学んでいました。14歳の時に父親を説得し「プチ・エコール」と呼ばれていた国立の素描・数学専門学校(後の国立高等装飾美術学校)に入学し、画家のホレス・ルコック・ド・ボアボードランに師事しました。伝統的な技術を吸収しながら観察力を磨き、記憶を頼りに絵を描く練習をするなど、この4年間は彼にとって非常に重要なものでした。デッサンで一等賞を取った後「プチ・エコール」を出たロダンは彫刻家になることを決意し、パリのエコール・デ・ボザールを受験しましたが 三度も落選し、石膏工房の日雇い労働者として働いていました。

彼の最初の彫刻作品は古代ローマの立法者の肖像にヒントを得て1860年に制作した『ロダンの父の胸像』でしたが、この作品はロダンの存命中に展示されることはありませんでした。1863年から1864年の間に制作した『鼻のつぶれた男』という大理石の胸像が、彼の最初の作品としてサロンに出品されました。ロダンはこの肖像に愛着を持ち「初めての良い彫刻」と考えていましたが、残念ながらサロンではその存在が知られることはありませんでした。1871年から1877年にかけてロダンはブリュッセルのカリエ=ベルーズのもとで装飾家として働き、一連の風景画を描きました。
1876年にイタリアを旅したロダンは ルネッサンス期の芸術家ミケランジェロの作品に出会い、感銘を受けます。その後ミケランジェロの彫刻を学ぶためにフィレンツェに渡り、ベルギーに帰国後1877年にミケランジェロの作品の研究をもとに制作した『青銅時代』を発表しました。この作品はその完成度の高さから、実物の人体から型取りしたものだと非難されました。深く心を痛め憤慨したロダンは、モデルとなったベルギーの若い兵士オーギュスト・ネイトの証言や写真を含む確固たる証拠書類を作成し、二年後に人間よりもかなり大きなサイズの彫刻を新たに制作し、見事に嫌疑を払拭しました。この事件を機にロダンの名はフランス中に広まり、この作品は2,200フランで国に買収されました。

1880年には国から、パリで計画されている装飾美術館の門の依頼を受け、これが彼の生涯をかけた作品『地獄の門』となりました。この作品が基礎となり、そこから派生し『考える人』や『私は美しい』などの名作を生み出しました。1880年代後半には女性彫刻家のカミーユ・クローデルと出会い、若き才能に刺激され『接吻』など女性や愛をテーマにした作品を多く制作しました。その後も、1889年に発表した『The Burghers of Calais(カレーの市民)』などの作品で論争を巻き起こしながらも  ロダンは世界的芸術家となっていったのです。

ロダンは晩年も精力的に制作し続け、1917年にフランスのムードンで亡くなりました。
現在ロダンの作品は フィラデルフィアのロダン美術館やパリのロダン美術館をはじめとする世界各地の美術館で展示されています。日本でも国立西洋美術館や大原美術館、静岡県立美術館に主要作品が収蔵されています。

▼パリのロダン美術館 公式サイトはこちらから
https://www.musee-rodin.fr/en

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