カミッロ ・ イノチェンティ
Camillo Innocenti
1871年−1961年
カミッロ ・ イノチェンティは1871年、イタリア・ローマに生まれた画家です。ヴィスコンティ大学で学んだ後、ナザレ派の画家のアトリエに通うようになり、ミケランジェロやラファエロなど過去の偉大な芸術を学ぶ機会を得ました。程なくしてイノチェンティの関心は現代美術へと移っていき、アントニオ・マンチーニのスタジオへと足を運ぶようになりました。デビューは1903年のヴェネツィア・ビエンナーレで、ややディヴィジョニズム(分割画法)に近い作品を3点出品したほか、複数のアーティストと共に『ラツィオの部屋』のフリーズ(柱の上部装飾)を手がけました。これを機にイノチェンティは次々と国際的な成功を収めていきました。
1904年以降は活躍が顕著で、セントルイス万博への出品やヴェネツィア・ビエンナーレへの再出品、1909年には少女や女性がピアノを弾いたり、お茶を注いだり、鏡の前で髪を整えたりする姿を描いた一連のドローイング作品も発表しています。第一次世界大戦により発表の場が限られてしまうと、その時期は映画の舞台監督の仕事に専念し、ヨーロッパで大成功を収めました。しかし戦後、イノチェンティの現代的な絵画はマーケットでの支持を得られなくなり、1925年には北アフリカへ移住。カイロの美術アカデミーで指揮を執る傍、宮廷画家としても活躍しました。