クラレンス・H・ホワイトはアメリカの写真家です。典型的なピクトリアリスムの写真家であり、影響力ある教育者としても知られるホワイトは 家族や友人の親密で牧歌的な風景を撮影しました。自然光を利用して豊かな雰囲気を作り出し、感傷的にならない静かで家庭的な感性を表現しました。ホワイトは ジョン・シンガー・サージェントやジェームズ・マクニール・ホイッスラー、初期の印象派の絵画やアール・ヌーヴォー、日本の美術などに影響を受けています。
1871年オハイオ州ニューアークに生まれたホワイトは高校を卒業後、父親の経営する食料品店で会計係として働いていました。1893年の新婚旅行で初めて写真を撮り、1896年に作品を発表しました。1898年にはニューアーク・カメラ・クラブを設立し、ガートルード・ケーゼビアやF・ホランド・デイ、アルフレッド・スティーグリッツらと知り合いました。1899年にはニューヨーク・カメラ・クラブの名誉会員に選ばれ、1900年にはイギリスのリンクト・リング・ブラザーフッドに選ばれました。そして1902年にスティーグリッツ、ケーゼビア、アルヴィン・ラングダン・コバーンらと共に「フォト・セセッション(写真分離派)」の創設メンバーとなりました。
その後 数年間は肖像写真家として活動した後、1906年に家族とともにニューヨークに移り住みました。翌年にはコロンビア大学で最初の写真講座を担当し、1908年から1921年まではブルックリン芸術科学研究所で教鞭を執りました。1912年にスティーグリッツと対立したホワイトは1914年にニューヨークに「クラレンス・H・ホワイト写真学校」設立し、マーガレット・バーク=ホワイト、ドロシア・ラング、ローラ・ギルピン、ラルフ・スタイナー、ポール・アウターブリッジらを教えました。1916年にはアメリカ写真家協会を設立し、晩年まで教育や展覧会、広告のアートディレクターとの交流などを通じて 芸術的な写真の普及に努めました。
1925年に新たなインスピレーションを求めて訪れたメキシコで、ホワイトは突然の心臓発作により亡くなりました。
クラレンス・H・ホワイトの作品は ニューヨーク近代美術館、デラウェア美術館、ICP(国際写真センター)などで展示されています。