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ARTIST/ART

ジェームズ・ホイッスラー
James Whistler
1834年-1903年

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)は主にロンドンで活躍したアメリカの代表的な画家であり版画家です。ホイッスラーの『Grey and Black No. 1 (1871)(灰色と黒のアレンジメントNo.1-母の肖像)』は19世紀の最も有名な肖像画の一つであり、現在パリのオルセー美術館に所蔵されています。彼は同時代のエドゥアール・マネのように  乾かぬうちに絵具を何層にも塗り重ね、徐々に色調のコントラストをつけていくスタイルで描いています。

「絵具を厚く塗ってはいけない 
    それは ガラスの表面に息を吹きかけるようなものでなければならない」

ホイッスラーは1834年マサチューセッツ州ローウェルに生まれました。鉄道技師である父親の仕事のために 1842年に家族と共にロシアのサンクトペテルブルグに移住しました。そして11歳の頃 帝国美術アカデミーで学び、1849年に父の亡くなった後、母と共にアメリカに戻りました。アメリカに戻ったホイッスラーはウェストポイントにあるアメリカ合衆国陸軍士官学校に短期間通いましたが、不服従と成績不振を理由に解雇されました。その後、彼はわずかなお金と将来への期待を胸に1855年にパリに移り、ギュスターヴ・クールベやアンリ・ファンタン=ラトゥール、シャルル・ボードレールらに仲間入りしました。
ロンドンとパリの間に暮らしていたホイッスラーは、テムズ川の描写をいくつか制作し、日本の木版画に影響を受けた作品も描いています。また「ノクターン」や「アレンジメント」、「ハーモニー」など作品のタイトルに音楽用語などを用いているのも特徴的です。

1877年ロンドンのグローヴナー・ギャラリーにホイッスラーが出品した作品『Nocturne in Black and Gold: The Falling Rocket (1875年頃)(黒と金のノクターン-落下する花火)』を酷評したイギリスの美術評論家ジョン・ラスキンを、彼は名誉毀損で訴えました。このように当時はしばしば辛辣な批評を受けたホイッスラーですが、現在ではアメリカ出身の画家の中で最も高く評価され、広く知られています。1886年には彼は英国美術家協会会長に任命され、イギリス芸術界の中心的存在となり、イギリスの絵画芸術に大きな影響を与えました。1870年にロンドンを訪れたクロード・モネは、彼の作品に強い感銘を受けたと言います。

ホイッスラーは1903年イギリスのロンドンで亡くなりました。現在彼の作品は、パリのオルセー美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンのテートギャラリーなどに収蔵されています。

▼イギリス国立公文書館による “ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの関連資料一覧” サイトはこちらから
https://discovery.nationalarchives.gov.uk/details/c/F68476

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