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ARTIST/ART

ジュリアス・ルブラン・スチュワート
Julius LeBlanc Stewart
1855年―1919年

ジュリアス・ルブラン・スチュワートは「フィラデルフィアから来たパリジャン」と呼ばれ、フランスの首都に住む外国人や財界の大物、貴族、芸術家、俳優、道楽者などが集まる社交界のメンバーとして活躍したアメリカ人画家です。パリが華やかに繁栄したベル・エポック期の典型的な芸術家として知られています。

1855年にフィラデルフィアで生まれたジュリアスは、アメリカの裕福な実業家でキューバの砂糖農園主だったウィリアム・フッド・スチュワートの息子でした。父ウィリアムは1865年にフィラデルフィアからパリに家族を移住させ、そこから現代美術の最も野心的で目の肥えたパトロンとして名を馳せました。ジュリアスは10代の頃エドゥアルド・サマコイスに師事しました。1873年にサマイコスの夭折に伴い、その後エコール・デ・ボザールでジャン=レオン・ジェロームのアトリエに入り、その後ライムンド・デ・マドラーソの下で学びました。豊かで鮮やかな色彩と繊細な光の処理、若い社交界の女性やそのファッションの豪華なシーンに重きを置いたスタイルなど、スペイン人画家からの影響は彼の作品に顕著に表れています。
1880年代にはジュリアスは、友人でありベル・エポックの象徴的人物の一人であったジャン・ベローが既に確立していた複雑な多人数構図を取り入れるなど、さらに作風を発展させました。1885年にサロンに出品した作品『The Hunt ball』に代表されるように、当時最も有名な美女やセレブリティを描いた作品でジュリアスは高い評価を得ました。彼の描いた近代パリのブルジョワ生活には、サラ・ベルナールやロスチャイルド男爵、ヘンリー・ベーコン、フレデリック・アーサー・ブリッジマン、エリザベス・ジェーン・ガードナー、ダニエル・リッジウェイ・ナイトなど世界各地の著名人が名を連ねています。また彼はアメリカ新聞の歴史における主要人物ジェームズ・ゴードン・ベネットの豪華ヨットを描くなど、上流社会が楽しむ屋外のレジャーを描くことも得意としていました。晩年には宗教的な題材にも目を向けていました。

2005年クリスティーズ(ニューヨーク)で開催されたオークションで『Yachting on the Mediterranean (地中海でのヨット遊び)』(1896)が230万米ドルで落札され、作家の記録的な価格となりました。

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