ジョージ・グロスは 20世紀最大の風刺画家と呼ばれるドイツ出身の画家です。
ノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義運動)の代表的な作家として知られ、戦間期のドイツの政治腐敗や社会不正を 鋭い批評風刺のレンズを通して非難するドローイングや絵画、版画を制作しました。グロスは風刺画や政治的人物の象徴的な表現に、未来派やキュビスムの抽象性、大衆的なイラストレーションの美学を融合させました。
「私は自らを画家ではなく自然科学者であり、風刺画家でもない と自称するほど傲慢だったが
実際には 私自身が、土砂降りの雨の中で外に立って手を差し出している人と同じように、
運命に後押しされてシャンパンをガブ飲みしている金持ちであり、
私の描くすべての人であった」
グロスは1893年にドイツのベルリンに生まれ、1909-11年にドレスデン・アカデミーで、1912-14年にはベルリンの美術工芸学校で、1913年にはパリのアトリエ・コラロッシでデッサンを学びました。1914年から短期間兵役に就きましたが、戦争中はベルリンで過ごし、激しい反戦の絵やドイツの社会的腐敗を非難するドローイングや絵画を制作しました。その後1917年から20年にかけてベルリンのダダ運動で重要な役割を果たし、写真家のジョン・ハートフィールドや、オーストリアの画家で写真家のラウル・ハウスマンと共にフォトモンタージュの発明に取り組みました。彼が描き出版された絵の多くは、軍隊への侮辱や冒涜の罪で訴追されることもありました。
グロスは1932年に ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで教えるためにアメリカを訪れ、ヒトラーが首相になる前にドイツから脱出し1933年にアメリカに移住しました。第一次、第二次世界大戦の惨状を目の当たりにした画家は意気消沈し、その後の数十年間は純粋な風景画や静物画などソフトな作風へと移行してゆきましたが、絶望的で深く厭世的な作品も多く描いています。
ジョージ・グロスは1959年ドイツ・ベルリンに帰国後、65歳で亡くなりました。
現在グロスの作品はワシントンDCのナショナル・ギャラリー、ロンドンのテート・ギャラリー、ニューヨーク近代美術館、マドリッドのティッセン=ボルネミッサ美術館などに収蔵されています。