パウル・クレー
Paul Klee
1879年-1940年



パウル・クレーはドイツ人の音楽教師の父とフランス出身の声楽家の母のもと、スイス・ベルン郊外のミュンヘンブーフゼーで生まれました。幼いころから絵を描くことの他、詩や音楽にも興味を持ち、ヴァイオリンにも親しんでいました。11歳でベルンのオーケストラ・メンバーになるほどの腕前で、画家になったのちも生涯ヴァイオリンを弾き続けました。
表現主義やキュビズム、シュルレアリスムに影響を受けつつも、その作風は非常に個性的でとぼけたユーモアに溢れ、時には子供のような瑞々しい視点を持ち、気分や信念、音楽性が映し出されています。そしてクレーは特に色彩について深く実験・探求し続け、色彩理論について広く執筆しました。クレーはワシリー・カンディンスキーらと共にバウハウスで教鞭を執っており『Paul Klee Notebooks』(Unendliche Naturgeschichte(無限の造形)の英語版)として出版されたクレーの講義ノートは、現代美術を理解するうえでレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論と同じくらい重要であると考えられています。
クレーの絵の詩質に親近感を感じ、刺激を受けてきたという詩人の谷川俊太郎氏もクレーをこよなく愛することで知られています。日本においてパウル・クレーは非常に愛好家が多く、展覧会も数多く催されています。
▼公式サイトはこちらから
(日本パウル・クレー協会)http://www.paul-klee-japan.com/
(スイス・ベルンのパウル・クレー・センター)https://www.zpk.org/