ビアトリクス・ポターは、ピーターラビットの物語で知られるイギリスの絵本作家でイラストレーター、自然科学者であり自然保護活動家です。
1866年ヴィクトリア時代に中流階級の家庭に生まれたポターは乳母に育てられ、ガヴァネスに教育され、孤独な幼少期を過ごしていました。しかし彼女は動物が好きで沢山の動物を飼い、大好きな動物たちの絵を描いて楽しみました。15歳の時、彼女は自分の発明した暗号を使った日記をつけていました。彼女の死後15年経ってからこの日記の暗号は解読されたそうです。日記の中で彼女は自分をオープンに表現し、当時の作家や政治家への鋭い批評も書かれていたようです。16歳の夏に一家は湖水地方に家を借り、彼女は初めて訪れたその土地の美しさに魅了され、その後生涯を通じてその場所を愛することになりました。
考古学や昆虫学、彼女はあらゆる自然科学の分野に興味を持っていました。特に自然の中で、その色とはかなさゆえにキノコに惹かれていた彼女の好奇心は1892年に博物学者でアマチュア菌学者であるチャールズ・マッキントッシュとの出会いをきっかけに深まりました。彼女は菌類の研究に没頭した末、学会に論文を提出しました。しかし当時、女性である彼女は学会には出席できませんでした。その後さらに数年間研究をつづけた彼女の その豊富で芸術的なイラストと共に残された研究内容は近年再発見され、高く評価されています。1997年、当時彼女が論文を提出したリンネ協会は、彼女の研究を取り扱う際に示された性差別について、彼女の死後 謝罪を発表しました。
ポターは文学的興味も旺盛でした。特に妖精や西ヨーロッパの古典的おとぎ話やファンタジーの世界に深く影響されていました。イソップ物語やグリム童話をはじめスコットランドの民話や神話、シェイクスピアやウォルター・スコットなどなど。特にエドワード・リアの『ナンセンスの絵本』やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は印象深かったようですが『不思議の国のアリス』ではジョン・テニエルの挿絵に興味があると彼女は語っていたようです。
1890年代 ポターは独自にデザインしたクリスマスなどの行事用のカードを制作し、印刷業者や出版社などに販売しました。これらが好評を博し手ごたえを感じた彼女は自身の挿絵入りの物語を公開することを決心したのです。1902年『ピーターラビットのおはなし』が出版されました。彼女の絵本作家としての原点となったこの物語は、彼女の元家庭教師アニー・カーター・ムーアの子供たち、特に病気がちだった長男のノエルに宛てて書かれた手紙でのウサギのお話が基になっています。彼女はこの物語を子供たちが購入できるよう安価にしたいと考えていましたが 出版社の承諾を得られず、自費出版することを決めました。初版は知人や親せきへのクリスマスプレゼントとして贈り、残りは一冊1シリングに郵送料を加えた値段で販売しました。この小さな本は評判となり1・2週間で売り切れてしまいました。購入者の中には作家のアーサー・コナン・ドイルもおり、この本を高く評価しています。彼女はこうして瞬く間に、一流作家の仲間入りとなったのです。ピーターラビットの絵本シリーズは児童文学の古典として、今なお世界各国で親しまれています。
ピーターラビット絵本出版の後、絵本の出版社社長の息子であり良き理解者であったノーマン・ウォーンと婚約しましたが、まもなくノーマンは病に倒れ亡くなってしまいます。その後の彼女は、子供の頃から心の拠り所であった湖水地方に拠点を移し創作活動のほか、熱心に農地の研究開発、羊の育成・保護などに取り組みました。自身の絵本のキャラクターグッズを制作販売し、集まった資金でさらに土地を購入するなどし、後半生は自然保護に尽力しました。そして1943年77歳で彼女は亡くなり、保有した土地の資産は遺言通り全てナショナル・トラストへ寄贈されました。彼女の彩色画・線描画など多くの作品はロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館に集められています。
▼ビアトリクス・ポター・ソサエティ公式サイトはこちらから
https://beatrixpottersociety.org.uk/
ピーターラビット公式サイトはこちらから
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ピーターラビット(日本版)公式サイトはこちらから
http://www.peterrabbit-japan.com/