マーサ・ボトはアルゼンチンのアーティストです。アルゼンチンのノンフィギュラティヴ(非具象芸術)グループの創設者の一人であり、キネティック・アートやプログラム・アートの先駆者と言われています。
「光と動き、空間、時間、色の相互関係を通じて宇宙を支配する 調和と均衡の法則に 私はいつも 魅了されてきました」
ボトはブエノスアイレスに生まれ、幼い頃から絵を描くことが好きで、祖父と母の 演劇、美術、音楽の趣味を受け継いでいました。彼女は1930年代末から1940年代初めにかけてブエノスアイレスで最初に起こった抽象芸術運動「アソシアシオン・アルテ・ヌエボ」などに参加し、1944年にはブエノスアイレスの国立美術学校でデッサンと絵画を学びました。そして1950年代にはブエノスアイレスのいくつかのギャラリーで作品を発表しました。この頃、同時期に制作されていたジュラ・コシツェの作品との対話もあってか、彼女は 色水を使ってプレキシグラスで構造物や透明なモビールを制作するようになりました。彼女は主に 自然の中の風景や日常生活のシーンを捉えることに興味を持っていましたが、1954年頃には幾何学的な抽象画に転向してゆきました。
ボトは1956年にグレゴリオ・バルダネガと共にアルゼンチンのノンフィギュラティヴ・グループを設立しました。1959年にはバルダネガと共にパリに移り、彼女のキャリアは新たな局面を迎えました。1960年の第1回パリ・ビエンナーレに参加した彼女は、彫刻に動きを求めるようになります。この時期彼女は モーターや色の付いたライトを彫刻作品に加え、動きや照明、色の効果に注目し、キネティックの作品を発展させました。またそのため、アルミニウムやステンレススチールなど様々な工業用素材を使った実験も始めました。1961年ボトはデニス・レネ・ギャラリーで開催されたグループ展で初めて作品を発表し、1969年に同ギャラリーにて初の個展を開催しました。当時の美術評論家たちは、彼女の作品を SFのジャンルや宇宙旅行の魔法のようなものと関連づけて表現しました。
ボトは2000年代初頭まで彫刻や絵画の制作を続け、2004年にパリで亡くなりました。
近年彼女の作品は ブエノスアイレスのアルゼンチン国立美術館での『Real/Virtual, Arte Cinético Argentino de los Años Sesenta(リアル/バーチャル、60年代のアルゼンチンのキネティック・アート)』展や、ソフィア王妃芸術センターでの『Lo(s) Cinético(s)』展など 数多くの重要な展覧会に出品されています。