リオネル・ファイニンガー
Lyonel Feininger
1871年−1956年
リオネル・ファイニンガーは、1871年にニューヨークで音楽家の両親の元に生まれたドイツ系アメリカ人の画家です。音楽を志しドイツへ渡るもののすぐに美術に転向。雑誌の挿絵や風刺画を描いた後、油彩を描き正統派画家として評価を得ると、1919年に造形学校「バウハウス」の設立に参加し1932年まで教授をつとめました。1910年頃のファイニンガーは、鮮やかな色彩を用い表現主義を思わせる作品を描いていましたが、キュビスムの影響を受けた後1920年代には幾何学的に分割した面に色を段階的に重ねることで光を透過するガラスのような硬質さと透明性をもつ作風へと移行しました。
日本での知名度はそこまで高くなく、国内での個展は2008年〜2009年にかけて3か所の美術館で開催されたものだけですが、ヨーロッパではワシリー・カンディンスキーと並び抽象画の先駆けのひとりと称される画家のひとりでもあります。