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ARTIST/ART

ワシリー・カンディンスキー
Vassily Kandinsky
1866年-1944年

ワシリー・カンディンスキーはロシア、モスクワ生まれの芸術家であり芸術理論家です。カジミール・マレーヴィチやピエト・モンドリアンらと共に『純粋抽象絵画』の創始者として知られています。

カンディンスキーはモスクワ大学で政治経済と法律を学び、大学で教鞭を執った後、教職を捨て1896年30歳にして絵画を学ぶべくミュンヘンに移りました。ミュンヘン時代にはルドルフ・シュタイナーや、前衛的音楽家アルノルト・シェーンベルクの音楽などカンディンスキーの創作に大きな影響を与えた出会いもあり、1910年頃よりカンディンスキーは抽象画を構想し描き始めます。

カンディンスキーが1910年に描いた水彩画は一般的に、最初の抽象絵画と言われています。1912年にはフランツ・マルクやガブリエレ・ミュンターらと共にドイツ表現主義の芸術誌『青騎士』を創刊し、この名を冠したグループとして革新的な芸術運動を興しました。同年『芸術における精神的なもの』と題した自著で抽象絵画の美学的原理を説き、その後も多くの著作を残しています。1910年から1913年の間に制作された「コンポジション」シリーズは、カンディスキーの代表的な作品です。
ロシア革命後の1918年、カンディンスキーはモスクワへ戻りました。帰国当初はレーニンにより前衛芸術は革命的として認められていましたが、のちにスターリンが台頭するにつれモスクワ共産主義の中、彼の抽象芸術理論は疎んじられるようになりました。そして1921年カンディンスキーはドイツに戻り1922年から1933年にナチスにより閉鎖されるまで、バウハウスで教鞭を執りました。その後フランスへ渡り、残りの生涯をフランスで過ごすこととなりました。

「色はキーボード、目はハンマー、精神は多くの弦からなるピアノだ」と語ったカンディンスキーの抽象表現は 人間の内面表現であり、その世界観は音楽や神智学からの影響も大きく、今日でも色褪せることなく様々な観点から広く注目され続けています。

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