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ARTIST/ART

歌川国芳
Utagawa Kuniyoshi
1798年-1861年

歌川国芳は 江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。画号は一勇斎、幼名は井草芳三郎といいました。
「奇想の絵師」とも呼ばれる国芳は 斬新で奇想天外な発想と風刺力、確かなデッサン力で 浮世絵の枠にとどまらない作品を数多く生み出しました。その奇抜でユニークな魅力は色褪せることなく近年でも再評価されており、今や世界的に大きな人気を集めています。2009年にはロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで、2010年にはニューヨークのジャパン・ソサエティー・ギャラリーで大規模な展覧会が開催され大きな反響を呼び、日本では2011年に没後150年を記念した展覧会が各地で開催されました。さらに2015年にはシャルリー・エブド襲撃事件が勃発し厳戒態勢の敷かれたパリで大規模な『パリ歌川国芳展』が開催され注目を集めました。

国芳は1798年(寛政9年)に江戸日本橋の染物屋の家に生まれ、15歳で初代歌川豊国に弟子入りしました。その後 画壇デビューを果たすも20代のうちはなかなか芽が出ず、30代で『水滸伝』の英雄を描いた一連の作品で脚光を浴びます。曲亭馬琴が翻案した『傾城水滸伝』がベストセラーとなり水滸伝ブームに沸いていた当時の大衆たちは、国芳の描くパワフルで躍動感溢れる英雄たちの武者絵に魅了されたのです。そしてさらに、このシリーズに描かれた武将たちの刺青に憧れた江戸っ子たちの間では 国芳作品の彫り物ブームも巻き起こりました。瞬く間に人気絵師となった国芳は次々に作品を発表しました。
やがて天保の改革が始まり 遊女や歌舞伎役者の浮世絵、贅沢な風俗の描写などが幕府から禁じられるようになりました。ところが国芳はこのような文化への弾圧を逆手に取り、猫や雀、野菜や魚を擬人化し、動物や人の体を組み合わせて文字を作ったりと奇想天外な発想と共に幕府への皮肉を込めた粋な風刺画を描き  大衆を喜ばせたのでした。天保年間の終わり頃からは、国芳は大判錦絵三枚続の大きな迫力ある作品を多く制作しました。

大胆で独創的な手法を次々生み出した国芳は 同時代の多くの絵師たちに意識改革を与え、現代においても多くの人々に新鮮な感動を与え続けています。1855年(安政2年)国芳は中風に倒れ、一時は回復し制作を続けましたが 6年後の1861年(文久元年)ついに病に勝てず、玄治店の自宅にて亡くなりました。

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