鳥文斎栄之
Chobunsai Eishi
1756年−1829年
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鳥文斎栄之は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。祖父が江戸の勘定奉行をつとめた旗本の長男として生まれたものの、家督を子に譲って浮世絵に没頭。狩野典信に師事し、天明後期から浮世絵師としての活動を始めました。初期の作品では美人画界の巨匠鳥居清長の影響を強く受けた清長風の美人画を多く描いていましたが、家督を譲った後に画家として本格的に活動を始めると、女性の全身像に独自の様式を確立し静穏な美人画の画風を打ち立てました。十二頭身美人像と呼ばれる栄之独特の美人画は、遊里に生きる女性を理想像に昇華した細やかで優美、かつ物静かな容姿をたたえるものであり、当時ライバルとされた喜多川歌麿の美人画に見られる艶麗さはなく、はっきりと一線を画したものでした。
1798年頃には錦絵の一枚絵の制作をやめ、肉筆画へと移ります。気品のある清雅な美人画は肉筆でも人気を博しました。また1800年頃から晩年までは風景画、特に隅田川の風景を好んで描いており、多くの佳作を残しています。