A.R.ペンク
A.R. Penck
1939年−2017年
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A.R. ペンクは1939年、東ドイツのドレスデンに生まれたアーティストです。独学で絵画を学び、新表現主義の先駆者として共産圏旧東ドイツのアートシーンで頭角を現します。1960年代に先史時代の洞窟画に見られる線画や統一的な記号に美的価値観を見出し、段ボールや空き瓶などを用いた彫刻作品の制作を開始します。1969年にケルンで個展を開催し、1970年代前半にはスイスで回顧展を行うものの、ペンクの作品は前衛的で共産主義の圧政下で政治的含意があるとされ、秘密警察の監視対象となります。1980年に東ドイツの国籍を剥奪され西ドイツに移住すると、ちょうどそこでは新表現主義運動が活発化しつつあり、ペンクの画風は違和感なくその流れに溶け込みます。1988年からはゲルハルト・リヒターやヨーゼフ・ボイスらも教鞭を執った国立デュッセルドルフ芸術アカデミーで長年にわたり教壇に立ち、当時留学中だった奈良美智が師事します。
記号や文字が散りばめられた「記号言語」で構成されたペンクの作品は、原始的な洞窟絵画を想起させ、情報化社会といわれる今日においてモダン絵画として注目されるとともに、表現の自由が認められなかった東ドイツで、自身の考えを外部に伝える手段の一つとして用いた簡素化されたモチーフでもあり、そこからは強烈なパワーやメッセージを感じ取ることができます。