アルフレッド・スティーグリッツ
Alfred Stieglitz
1864年−1946年
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アルフレッド・スティーグリッツは、1864年にアメリカ・ニュージャージー州に生まれた写真家です。1881年、機械工学を学ぶためにドイツへ留学しますが、そこで写真と出会い方向転換します。カメラを手にヨーロッパを旅して風景や農民たちを撮影する傍ら独学で資料の収集や研究を重ね、写真も絵画や彫刻と同等な芸術表現をし得ることを確信すると、そのことを証明するべく1890年に帰国します。アメリカでは写真製版の仕事を始めるとともに雑誌への投稿もはじめ、また欧州の写真芸術の方法論をアメリカで展開しました。
1902年には美術志向のある写真家たちを集めてグループ「フォト・セセッション」を設立し、当初ピクトリアリスムを広めましたが、その後はストレートフォトグラフィに転じ、後世の多くの写真家に大きな影響を与えます。また、機関紙の発行やギャラリー開設をし、この活動を通じて自国の若い写真家や現代美術家をサポートするとともに、ピカソ、ロダン、などといったヨーロッパのモダニズムの芸術家を紹介し、その功績は大変大きなものと言われています。後に妻となるジョージア・オキーフと出逢うと、1917年から30年にわたりオキーフを取り続けるとともに、彼女の芸術活動をサポートしました。