メアリー・カサット
Mary Cassatt
1844年−1926年
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メアリー・カサットは1844年、アメリカ・ペンシルベニア州出身の画家・版画家です。ベルト・モリゾ、マリー・ブラックモンとともに3大女性印象派のひとりとして知られ、女性の職業画家が少なかった時代に先駆者として活躍しました。海外旅行が子供の教育に不可欠だとの考えを持つ両親のもと、幼い頃に5年間ヨーロッパの主要都市を移動しながら暮らす中フランス絵画に影響を受け、画家になることを決意します。アメリカで美術大学に進学するも男女間の格差や授業のスピードの遅さなどに不満を持ち退学し、1866年パリへと渡ります。その後はヨーロッパの主要美術館を回って独学で勉強したり、カミーユ・ピサロのもとで学んだりし、1872年にパリ・サロンに初出品を果たします。
1875年、カサットの人生を変えたとされるエドガー・ドガのパステル画に出会い、数年後にドガの訪問を受け、その後しばらくコラボレーション活動を行います。1891年、ドライポイントやアクアチントを利用した版画作品の制作をはじめます。当時パリではジャポニズム・ブームで浮世絵が流行していたこともあり、「女浴」や「髪型」などの代表作は、浮世絵の影響を大きく受けています。1890年以降のカサットの絵画は成熟し、多忙でクリエイティヴな時期を迎えます。母子像を主題とした絵画や版画の制作に集中し、母と子の親密な絆を独自のタッチで描いた作品は、今でも高い評価を得ています。