ヨハネス・イッテンはスイスの芸術家であり、設立当初のバウハウスでマイスターとして教育にあたった芸術教育家です。彼の造形教育は、20世紀以降のデザイン教育の最初のモデルとなりました。著書『The Art of Color(色彩の芸術): The Subjective Experience and Objective Rationale of Color(1961)』にあるように、イッテンは 科学と感性の両方を描いた 包括的な色彩論を開発しました。
『色の達人になりたい者は、他のすべての色との無限の組合せで個々の色を見、感じ、体験しなければなりません』
『色は対象に関わらず、精神表現のための 神秘的な力を備えているに違いありません』イッテンはかつてこのように語りました。
スイスのリンデンで生まれ、10代の頃に小学校教諭としての訓練を受け、心理学を探究することに興味持ちました。その後1910年から二年間ベルン大学にて自然科学を学び、1913年にはシュトュットガルトのアカデミーで画家のアドルフ・ヘルツェルに師事しました。1916年ウィーンで暮らしている時にバウハウスの創始者であるヴァルター・グロピウスに出会い、リオネル・ファイニンガーとともにバウハウスの最初の指導者として招かれました。イッテンは1920年頃から東洋思想に影響を受け、バウハウスの教育にも取り入れていました。学校の方向性についてグロピウスと絶えず議論した末、1923年イッテンはバウハウスを去りました。その後ベルリンに自分の学校を開設し1934年ナチ政権に閉鎖されるまで運営を続けました。デザインの知識を持っていたため、クレーフェルト市テキスタイル学校の校長に任命され、その後 1953年までチューリッヒの工芸博物館とその付属学校の館長兼学長も務めました。
1938年イッテンはスイスに移住し その後の数年間は本を書き、デザインコースを教えていました。そして1967年、チューリッヒにてその生涯に幕を閉じました。
現在イッテンの作品は、ニューヨーク近代美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、マドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館などに収蔵されています。