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ARTIST/ART

国吉康雄
Yasuo Kuniyoshi
1889年―1953年

国吉康雄は20世紀前半にアメリカを拠点に活躍した画家です。主に油彩画を描きましたが、版画や写真も手掛け、30年以上に渡りニューヨークのアート界に積極的に関わりました。

国吉は1889年に岡山県岡山市の商家に生れ、小学校卒業後工業学校で染色を学びましたが中退し、1906年16歳で労働移民として単身アメリカに渡りました。鉄道掃除夫やボーイ、運搬夫、果樹園の収穫など様々な仕事に就く傍らロサンゼルスの公立学校の夜間部で学び、次第に美術に興味を抱くようになりました。いくつかの美術学校で学んだ後1916年にアート・スチューデンツ・リーグに入学し、画家ケネス・ヘイズ・ミラーの指導を受けて画才をのばし、またスチュアート・デイヴィスなど多くの友人を得ました。
1925年 国芳はヨーロッパに渡り、これをきっかけに作品にヨーロッパ近代絵画の要素が入り混み変化してゆきます。1928年に再び訪れたヨーロッパではモーリス・ユトリロやシャイム・スーティン、パブロ・ピカソ等と交流し感銘を受け、多くのリトグラフを制作しました。1929年にはニューヨーク近代美術館により現代アメリカ絵画を代表する1人として『19人の現代アメリカ画家展』に選出されました。1931年にはカーネギー・インスティチユートで受賞し、1933年からは かつて学んだアート・スチューデント・リーグで教授に就任し、20年間務めました。また国吉は 美術家の権利、仕事や保証のための運動を行う団体「アメリカ美術家会議」に参加するなど アメリカ美術界で指導者としての役割を積極的に担うことになりました。

やがて世界恐慌や第二次世界大戦が勃発し、日本とアメリカの緊張状態が悪化の一途をたどった1940年代 国吉の作品には哲学的な問いかけのようなテーマが含まれるようになりました。そして戦後、国吉は画家として教師として、社会活動家として精力的に活動し1947年にはアメリカ芸術家組合の初代会長に選ばれました。
1948年にはホイットニー美術館で 存命中の画家としては初の回顧展が開催され、1952年にはエドワードホッパーやスチュアート・デイヴィス等とともにヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれました。

1953年 望んでいたアメリカ市民権を得る直前、国吉は亡くなりました。

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