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赤瀬川原平(本名:赤瀬川克彦)は作家、路上観察家やエッセイストなど様々な顔を持つ日本の前衛美術家です。
1937年に横浜市で生まれた赤瀬川は 幼いころから絵を描くことが好きで、戦争を経験し経済的に恵まれなかった時代にも、何か面白いことを見つけては家族を和ませるような少年でした。1955年に武蔵野美術学校に進学するも57年に中退し、1958年には読売アンデパンダン展に初出品するなど、早くから作家活動を開始しました。
1960年には吉村益信、篠原有司男、荒川修作らと共にグループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成しました。1963年には高松次郎、中西夏之と共に「ハイレッド・センター」を結成し、平穏な「日常」のなかに「芸術」を持ち込むことで、退屈な「日常」を「撹拌」しようと試みました。この「ミキサー計画」では 千円札を拡大模写した作品『模型千円札』を発表した他、ビルの屋上から様々な物を落下させる「ドロッピング・ショー」、「首都圏清掃整理促進運動」などのパフォーマンスを行いました。
1964年に『模型千円札』が違法であると起訴され、いわゆる「千円札裁判」を闘うことになり有罪判決を受けましたが、この裁判の経験を通して「言葉にする面白さ」に目覚め、今度は小説を書き始めます。そして1981年に尾辻克彦名義で発表した小説「父が消えた」で第84回芥川賞を受賞しました。その後も小説やエッセイを次々に発表し、著作は120冊を超えています。
1980年代からはカメラを手に歩き回り、都市空間に見られる「無用の長物」と化した奇妙な物件など 意表を突く景観を撮影し、「超芸術トマソン」や「路上観察学会」、「ライカ同盟」と名付けた活動を開始しました。1996年には美術史家の山下裕二と「日本美術応援団」を結成し、1998年には その観察の眼を自分自身に向け「老い」をユーモラスにポジティブに捉え綴ったエッセイ「老人力」を発表してベストセラーとなり、その年の流行語大賞にも選ばれました。
「観察」することを表現の核とし、楽しみながら日常の中に芸術を見出した赤瀬川原平は、世界に、そして自分自身の中に潜む秘密にワクワクしながら 生涯探求を続けました。