高松次郎
Jiro Takamatsu
1936年−1998年
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高松次郎は1936年、東京都出身の美術家です。中学2年の頃にピカソの作品を通して近代美術に興味を持つと同時に、アインシュタインを知って大きな衝撃を受けます。1954年、東京藝術大学に入学し、小磯良平に師事。1958年に読売アンデパンダン展に出品し、以後複数回同展に参加します。大学卒業後は一般企業で工業デザイナーとして勤務する傍ら作品を制作しつつ、当時前衛芸術に傾倒していた高松は西川夏之、川仁宏らとともに「山手線事件」というハプニングを行い、また中西と赤瀬川原平らと芸術集団「ハイレッド・センター」を結成すると、数多くのパフォーマンスを展開します。1964年頃から、画面に人間の影だけを描き実在物と虚像のあり方を問いかける「影」シリーズの制作を始めます。その後は絵画、彫刻、写真、映画、インスタレーションなど様々な分野にわたる作品を発表し、ヴェネツィア・ビエンナーレやドグメンタに出品するなど世界中で活躍します。
高松の多くの作品は抽象的かつ半芸術的な色合いが濃く、石や木などの自然物にわずかに手を加えただけの作品や、遠近法を完全に逆にした作品など、あえて思考させ、また思考することによって作品と世界との間に新しい関係を作り出すことに成功し、1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えています。