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検証:葛飾北斎 神奈川沖浪裏 Vol.1

葛飾北斎の版画「神奈川沖浪裏」。通称「大波」として世界的に有名です。この作品は、木版を使って印刷したものですので、最初の木版(初版)で印刷されたものと木版の数がすすんだもの(後期)のものでは違いがあります。
初版と後期のものの違いはいったいどこにあるのか。葛飾北斎の名作を検証します。


今回は、大英博物館の「大波」についてのブログを和訳しました。著者は、科学研究者のキャプシーヌ・コーレンベルク( Capucine Korenberg )です。


大英博物館 ブログ:https://blog.britishmuseum.org/the-great-wave-spot-the-difference/



神奈川沖浪裏 : 違いに気づくために
                                                                                                                 キャプシーヌ・コレンバーグ 2020年5月10日


科学研究者のキャプシーヌ・コーレンベルクは、北斎の世界的に有名な波をクローズアップ、刷りとデザインの微妙な変化が、この名作がどのようにして生まれたかを表しているとしています。






葛飾北斎(1760-1849)の版画「神奈川沖浪裏」は、「大波」として世界的に有名です。現在、2021年8月まで延期されている東京パラリンピックの公式ポスターには、荒れ狂う雲海からスポーツの神様が日本に降臨する様子を描いた漫画家・荒木飛呂彦の「神奈川沖浪裏上空」があります。




大英博物館オンラインに掲載されている新作コレクションの「大波」3点


「大波」の浮世絵には多くの種類があり、「決定的」なものがないことをご存じないかもしれません。例えば、大英博物館には3点、メトロポリタン美術館には4点、メイドストーン美術館(イギリス)には先日の「日本:版画の中の浮世展」で展示された1点があります。
私はアジア学部の研究者と共同で、これらの浮世絵の違いをどうやって見分けるかに焦点を当てて、これらの素晴らしい版画の年表を作成し、いつ頃作られたのかを見分けることができるようすることを目指しています。


当時、木版画は安価であり(19世紀半ばには、大波の版画がそば2杯分と同じ値段で買えた)購入しようとする人達がいる限り、注文されたデザインに沿って版画が作られ続けていました。




初期の「大波」版画



北斎の有名な作品は、1830年代に日本と貿易のあった中国とオランダから輸入された、色あせしにくい新しい合成顔料「プルシアンブルー」を日本で初めて使用した版画作品の一つです。プルシアンブルーが日本に入ってくるまでは、藍色やつゆくさの青など、あまり鮮やかではない塗料を使用していました。
三隻の小舟を飲み込もうとしている巨大な波の迫力と、新しい青色は、日本で絶大な人気を博しました。



木版画 の制作について

同じデザインの浮世絵でも、色や施された印刷効果でまったく違うものになります。
下の北斎による「甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)」の例は、版画が時間の経過とともにどのように進化していくかを示しており、美術史家やコレクターの興味をそそる対象となっています。
驚くべきことに、「大波」はおそらく日本の美術品の中で最も有名な作品であるにもかかわらず、その進化はほとんど詳細に研究されていません。




異なる配色で印刷された北斎による「甲州石班澤」


こういった作品には日付や番号が入っていませんが、木版画は印刷の過程でダメージを受けるので、時間の経過とともにデザインがいつ頃のものか見極めることができます。版画の中にある木版の磨耗の痕跡を探しだすことが可能で、それを私はプロジェクトの一環として行っています。


例えば、下の「大波」の版画をよく見比べてみると、矢印の先にある線が消えている版画もあれば、そうでない版画もあることに気づきます。線のない版木は、隆起のない木版で作られているので、線のある版木の後に作られたと言えます。




2枚の大波の版画の左側の船の下の部分のクローズアップ:左側の版画(大英博物館2008,3008.1.JA)では波の輪郭がはっきりしていますが、右側の版画(大英博物館1937,0710,0.147)では波の輪郭がほとんど消えています。


波を捉える


江戸時代に制作された「大波」の版画の数は記録されておらず、そのうちの何枚が今日まで生き残っているのかは明らかになっていません。しかし、商業的に成功していたことを考えると、版画家は文字通り版木が消耗するまで版画を制作していたのでしょう。専門家によれば、これは約8,000枚の版画に相当すると推定されています。また、当時は価値がないとされていたため、所有者はあまり手入れをしておらず、ほとんどの場合は捨てていたのでしょう。また、日本の都市部では地震や火災が頻発し、多くの版画が破壊されました。そのため、「大波」の版画の大半が失われた可能性が高く、比較・分析できる数は限られています。

そこで、版画のデザインの変遷を研究するために、現存する作品を探しました。数多くの美術館、ギャラリー、図書館のオンラインコレクションや、大手オークションハウスの記録を参考にしました。また、本を調べたり、アート・ディーラーや個人コレクターにも声をかけました。Google Arts & CultureやFlickr、Pinterest、Twitter、Instagram、さらにはTripAdvisorで、「大波」の写真を数枚見つけました(大波はSNSでも人気があります!)。
そして合計で、111枚の原版の写真をなんとか手に入れることができました。
こうして調べている間に、オリジナルと偽って表示している複製品(異なる版木のセットで作られた後期の版画)にも出くわしましたが、また別の話なので説明は省きます。



細かいところまで分析



「大波」の骨刷りの現代の複製


「大波」に見られる主な輪郭は、非常に細かい稜線が彫られた「骨刷り」を使って印刷されています。「大波」のオリジナルの版画に使われた版木のセットは長い間失われていますが、上の写真では現代の複製版の版木を見ることができます。骨刷りは、特に右上の繊細なタイトルのカルトゥーシュ(文字が入っている枠、実際の版画では左)に最も傷みと破損がでます。

この版画の別の版を見てみると、以下に示すように、カルトゥーシュの二重枠の中の三つの部分に損耗が見られました。




時間の経過とともに、「大波」のタイトル・カルトゥーシュの線は3つの部分で損傷を受けています。左の初期のカルトゥーシュ(大英博物館、2008,3008.1.JA)と右のカルトゥーシュの三つの破損(大英博物館、1937,0710,0.147)を比較してみてください。



このブログの最初の画像の「大波」には、輪郭に切れ目がありません。ということは初期のものとなります。
専門家は、作家(北斎)がこれらの版画のために、色と印刷効果を選んだと考えているので、初期の版画は非常に重要です。その後、出版元(役割としては、版画の委託販売)は、より多くの顧客にアピールし、制作コストを下げたりするために変更を加えていきます。

私は、背景の富士山の輪郭や右の波の輪郭にも、骨刷りの切れ目が発生していることに気がつきました。下の後期印刷では、その場所と損失が発生した順番を見ることができます。この後期の版は、初期の版と比べてどれだけ違って見えるかに注目してください。空はカラフルで、版元は、空に雨が降るように、灰色の木版に墨を入れています。これは大変珍しいものです。



「大波」の後期版の骨刷りの破損の位置。番号は破損が発生した年代順を示しています。(葛飾北斎『神奈川沖浪裏』、1830/33年。シカゴ美術館 1952.343, CC0 パブリックドメイン指定)

 

 

私は、版画家たちが「大波」の後期版に2つの新しい木版を使用していることを発見して興奮しました。1つは、海の部分に水色を。もう1つは、船の部分に黄色を入れています。しかし、これらの新しい木版は、オリジナルの版木の完全な代替品とは言い難いものでした。例えば、後期版の水色の部分は、初期版に比べて角張った形をしています。また、後期版では、元々黄色に印刷されていたはずの船が白のままになっている部分もあります。上の画像を見返してみると、左側のボートには黄色で色付けされていません。



後期作品の水色部分(左。葛飾北斎。『神奈川沖浪裏』、1830/33 The Art Institute of Chicago 1952.343, CC0 Public Domain Designation)は、初期の版画と同じ木版で印刷されていない(右:大英博物館2008,3008.1.JA)



ですが私はやっと最後に、この研究を始めるまでに出会ったことのない、他のすべてとは異なって見える4つの版画に出会いました。舟はピンク色、雲は濃い茶色のグラデーションの版画です(下)。
この4枚の版画を詳細に調べてみると、これらが本物であるという結論に達しました。正確に言えば、「大波」の最後の版画であると言えます。想定されるすべての部分に木版の摩耗があり、版画家はピンク色で刷るために新しい木版を船に使用していたのです。この新しい木版を彫った理由は謎のままですが、木版が非常に傷んでいたのにもかかわらず、まだ「大波」の版画を買いたがっている人がいたということは素晴らしいことです。



最新の「大波」の版画の1枚(1916.685、ハーバード美術館/アーサー・M・サックラー美術館、デンマン・W・ロス博士寄贈、©ハーバード大学学長・フェロー)


名作の制作について物語っていることとは


私の発見は、いくつかの疑問を投げかけています。なぜ版元は新しい版木を依頼したのか?なぜ木版画家は、原版とは違った彫り方をし、明らかなミスも犯したのでしょうか。
もしかしたら、元の木版が傷んでしまい、交換しなければならなくなったのかもしれません。とはいえ、経験豊富な木版職人が、原版とよく似た新しい木版を作ることは難しいことではなかったと思います。このことから、もしかしたら、急ぎの作業であったか、気持ちが行き届いていなかったことを示しているのかもしれません。



2017年の北斎ドキュメンタリーの一環として彫られた木版

 

しかし、「大波」の版元である西村屋与八は、彫刻や刷りの技術が非常に高いことで知られていたので、このようなミスは、驚くべきことです。1836年の書簡によると、彼は、1830年代半ばに経済的に苦境に立たされていたとあるので、これが原因かもしれません。西村屋は木版を他の版元に売ってしまったのかもしれません。もう一つの可能性としては、西村屋には質の良い版木を手に入れる資金がなかったため、安い版木を依頼したということも考えられます。


真実がどうだったかはわかりませんが、もし次回、「大波」の浮世絵に出会った時には、どこに違いがあるのかをゆっくり時間をかけて観察してみてください。

 

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